リトアニア語のあらまし

リトアニア語(Lietuvių kalba)は,インド・ヨーロッパ語族のバルト諸語派に属する言語であり,言語学的観点から見てきわめて古態的なことで知られる。いわゆるバルト三国の一つ,リトアニア共和国の公用語であり,EUの公用語ともなっている。現在,人口約300万人のうち8割強を占めるリトアニア人によって母語として話されている他,最大のマイノリティであるポーランド人をはじめ,ロシア人,ベラルーシ人といった他民族の多くも現在ではリトアニア語の運用能力をもっている。また,リトアニア国外にも,ベラルーシ,ポーランド,アメリカ合衆国,カナダ,イギリス,アイルランド,スペイン,オーストラリア,ドイツ,ラトヴィアなどに話者がいる。
 リトアニアの名が記された最も古い文献は1009年に遡る。その後,13世紀に統一されたリトアニアは,中世後期の14~15世紀にかけて東ヨーロッパ最大の国家として繁栄した。だが,当時の公文書には古ベラルーシ語が使用され,リトアニア語で書かれた最初の書物であるマージュヴィダス(Mažvydas)の『教理問答書』(Catechismusa Prasty Szadei, 1547)を始め,初期の古文献が現れたのは16~17世紀と時代を下る。周辺大国のせめぎ合う複雑な国際情勢の中で,18世紀半ば,東プロイセン領のいわゆる小リトアニアにおいて,ルター派の牧師であったドネライティス(Donelaitis)によるリトアニア古典文学の最高峰,叙事詩『四季』(Metai)が誕生した。とりわけロシア帝国の支配下でラテン文字の使用が禁じられた時期(1865–1904),リトアニア語は消滅を確実視される状態にあったが,幸いなことに,19世紀末から高まりを見せた民族運動とともに復活した。言語学者ヤブロンスキス(Jablonskis)は,『リトアニア語文法』(Lietuviškos kalbos gramatika, 1901)を地下出版し,文語としての標準リトアニア語の形成に大きく寄与して「リトアニア語の父」と称される。
 リトアニア語が初めてリトアニアの公用語となったのは,第一次世界大戦後の独立共和国時代(1918–1940)のことであった。1940年に国がソ連に併合され公用語がロシア語となると,リトアニア語は民族語としての地位に甘んじたが,その状況も,1990年にリトアニアがソ連からの離脱を宣言し,独立を回復するに及んで解消した。リトアニア語は再び国の公用語となり,現在では非リトアニア系住民もリトアニア語を解するようになっている。
 方言が多様であることもリトアニア語の大きな特徴をなしている。バルト海寄りの低地リトアニア地方(ジェマイティヤŽemaitija)で話される低地方言と,内陸側の高地リトアニア地方(アウクシュタイティヤAukštaitija)で話される高地方言の二つに大きく分けられるが,両者の区分はすでに10世紀頃には明確であったと考えられている。なお,19世紀末から20世紀初頭に確立された標準語の基礎となったのは,当時は東プロイセン領のいわゆる小リトアニアに連なる地域で話されていた高地西部方言である。

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© 2016 櫻井映子